デジタルコンテンツⅠ「愛生館事業とは」~愛生済民を掲げる4人の男たちの物語~
明治初頭~中期、日本の近代医学・薬学・公衆衛生学の黎明期にあって、医師不足と薬剤の高騰に庶民が苦しめられた時代、4人のキーマン達の民力によって、全国的な愛生館事業の物語が始まった。 爾来130年の歴史を経た今、この地で唯一名を残した『愛生館』の歩みを資料館として永年保存すべく2019年10月、北海道の中心地・札幌にくすり販売の歴史資料室『愛生館文庫』をオープン。創設者・秋山孝二(秋山財団理事長)により、長年温めてきた思いを交えながら解説する。
デジタルコンテンツⅡ 「北海道における愛生濟民」 ~愛生館と初代秋山康之進の生涯~
明治21年、東京神田で創業の『愛生館』に雇用された秋山康之進は、3年後には『愛生館北海道支部長』として札幌に着任し、やがて『秋山薬舗』として独立する。愛生館の理念の下、愛生館三十六方製剤の普及や山間僻地への薬の供給や弱者への施薬、家伝薬『活児』や卸販売にも信頼を得てゆく。 また北海道開拓を担う屯田兵の後方支援、さらには十勝・士幌町「佐倉」の開拓にも貢献し、その名は薬業組合・薬剤師会の中心的存在となり、後の(株)秋山愛生舘の礎を築き上げた。
デジタルコンテンツⅢ 「愛生館事業と松本順」 ~いのちを支えた先駆者の軌跡~
幕命により医学伝習生として長崎に赴いた松本順は、そこでオランダ軍医ポンぺ先生に出会い、衛生思想を基本として、講義と臨床医学の2本立ての教育を受けながら、3年後に養生所の設立に尽力する。 やがて戊辰戦争により幕府が倒れ、松本順も一時捕らわれの身となるが赦免され、初代軍医総監となって「陸軍軍医制度」を確立する。だが、松本順が目指していたものは民間治療法なる三十六方と衛生思想の普及であった。館主高松保郎からの「愛生館事業」への協力を受けて顧問となり、民のいのちを支えていく。
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