愛生館文庫デジタルコンテンツⅢ「愛生館事業と松本順」の公開
幕命により医学伝習生として長崎に赴いた松本順は、そこでオランダ軍医ポンぺ先生に出会い、衛生思想を基本として、講義と臨床医学の2本立ての教育を受けながら、3年後に養生所の設立に尽力する。
やがて戊辰戦争により幕府が倒れ、松本順も一時捕らわれの身となるが赦免され、初代軍医総監となって「陸軍軍医制度」を確立する。だが、松本順が目指していたものは民間治療法なる三十六方と衛生思想の普及であった。館主高松保郎からの「愛生館事業」への協力を受けて顧問となり、民のいのちを支えていく。
愛生館文庫デジタルコンテンツⅡ「北海道における愛生濟民」の公開
明治21年、東京神田で創業の『愛生館』に雇用された秋山康之進は、3年後には『愛生館北海道支部長』として札幌に着任し、やがて『秋山薬舗』として独立する。愛生館の理念の下、愛生館三十六方製剤の普及や山間僻地への薬の供給や弱者への施薬、家伝薬『活児』や卸販売にも信頼を得てゆく。
また北海道開拓を担う屯田兵の後方支援、さらには十勝・士幌町「佐倉」の開拓にも貢献し、その名は薬業組合・薬剤師会の中心的存在となり、後の(株)秋山愛生舘の礎を築き上げた。
愛生館文庫デジタルコンテンツⅠ「愛生館事業とは」の公開
デジタルコンテンツⅠ「愛生館事業とは」~愛生済民を掲げる4人の男たちの物語~ 明治初頭~中期、日本の近代医学・薬学・公衆衛生学の黎明期にあって、医師不足と薬剤の高騰に庶民が苦しめられた時代、4人のキーマン達の民力によって…続きを読む